目覚めると、白い光の中に、影が見えた。 だれですか。 そう問いたくても、体が全く言う事を聞かなかった。 自分は目と耳以外を持たずに生まれてきた・・・なんだかそんな感じだった。 やがてその影はこう言った。 「許してくれとは言わない。ただ、最期に一言だけ言わせて欲しい。 ・・・ヒトと、そして私たちのもう一人の息子たちの未来を頼む・・・」 その言葉で俺はやっと分かった。 目の前にいるのは父だということが。そしてその命はもうすぐ尽きようとしているということが。 まってくれ。 その5文字が脳裏に浮かんだが、それをかたちにしようとしたとき、俺の意識はプツリと切れた。 まるで、テレビの電源を切られるように。 01:結合されしココロ サイファー起動 2020年5月1日 13:10 県立国際情報高等専門学校 情報技術科教室 「人・・・界人ぉ」 「・・・へっ?」 名を呼ばれ、神崎界人はやっと現実の世界へと回帰した。 今まで見ていた光景が夢であった事は、腕の妙なしびれ、そして朦朧とする意識が告げている。そういえば左手首と額が痛い。時刻は13:10。5限目まであと20分は眠れるというのに、無粋な声に邪魔をされた。これで何度目だ? ボケた頭をもたげると、同級生の菱井晶、彼女の大きな瞳が目に入ってきた。ただし、電子回路のように赤く走る充血と、濃いクマのせいで、せっかくのボーイッシュな顔が台無しになっている。 「何だよ・・・人がせっかく惰眠をむさぼってる最中だってのに」 「ンな暇あるか! オレはこいつのせいで寝る暇も無かったんだ」 言いながら、晶はノートをびしり、と界人の目の前に突き出す。 「・・・CY-net端末への出力プログラミング? こんなの基礎だろうに、ったく」 「うるさいなぁ。オレはお前と違ってアナログなんだ・・・大体、CY-netのせいで町ん中が味気なくて仕方なくなっちまった・・・ああ、悪い。親父さんやお前の事を責めてるわけじゃないんだ」 界人から少し視線をずらしつつ、晶は窓の外を見る。 阪城市。 何て事のない、日本海沿いの小さな ―「市」を名乗るのも精一杯だった― この町は、10年前に突如変貌を遂げ始める。 同じ年に東京を襲った、暴走したロボットによる大規模なテロにより、阪城市出身の偉大な人間が喪われた。 神崎信一郎・・・全世界のネットワークを統一し、コミュニケートの大幅な簡素化を可能とした擬似人格OS「CY-net(サイネット)」を開発した科学者。 当時、当選したてだった市長は、神崎教授の遺志を継ぐことを公約とし、市内のネットワーク整備とそれに関わる企業誘致に躍起になり、日本国内でもいち早くサイネットを自由に使える環境を、自治体レベルで完成させた。 以来、この町は以前の色― 木々の緑や山の青い稜線の景色 ―を失い、白やグレーのビルで埋め尽くされたモノトーンと、電飾のギラつく原色の街へと次第に姿を変えつつある。 「まあ、お前の言う事にも一理あるよな・・・。例えば工場なんか、擬似人格に一言二言言うだけで設定は終了するし。知ってるか? ちょっと昔までは、この学校の実習室の旋盤やフライス盤なんかも手でダイヤル回して数値合わせしてたって話だよ」 「マジ? すげー難しそう・・・けど、そういうのって憧れるよな。バイクだってそうだけど、自分で作ったりやったりしたことって愛着わくし、なんつーか・・・カッコいいよな?」 晶との会話を続けながらも、界人の目と腕は淀みなく動きつづけ、ノートに書かれた数式や言語を脳内に読み込み、最適な数式を記述していく。あたかも高性能なコンピュータのように。 「俺も親父が今の環境を望んでたか、と言われるとどうも腑に落ちないんだよ。それを尋ねることはもう出来ないわけだけど。・・・OK、こんなもんだろ。多分それでいいと思う」 「・・・前から思ってたけど、お前って何でこんなワケわかんない数式、理解できるわけ? 情報処理やら数学なんて、全国クラスの順位なんだろ?」 「ん・・・何でかしらないけど、数式やら文字列見てると、何となく『判る』んだよな。直感で・・・じゃ、もうちょい寝るわ」 ノートを返し、再び机に突っ伏した界人を見て、晶はため息をついた。そして思うのである。 (また『サスペンド』してる・・・) 「人型PC」などと、口の悪い人間は界人を称する。 授業中はかなりの頻度で寝ているにも関わらず、教師に指されるとほぼ完璧に問いに答える。 そしてまた寝る。 界人いわく、「何となく最近脳味噌がダルいから」寝ることが多いのだというが・・・ 2020年5月1日 13:15 阪城市内某所 「お前の最近のアクセス回数は多すぎる。これじゃ負担がかかるのも当然だ」 『申し訳ない』 「ま、俺に謝られても仕方ないんだが・・・何があった?」 『ネット全体の対ウィルス活性値が上がっているのが気になる。私なりに調査してみたのだが』 「待て・・・ウィルスが侵入した場合、即座にその端末はネットから孤立するモードをとるはずだろう? 感染が他の端末に広がらないように・・・。少なくとも『お前たち』はそういう風に作られてるはずだが・・・なのにネット全体の活性値が上がってる?」 およそ「コンピュータ」という言葉とは縁遠そうな外見の男が、マウスを動かしながら壁に据え付けた端末と対話していた。 野性的で角張った顔、薄いグリーンの作業用ツナギ。ホログラム・キーボードが展開された高級デスクの横には、白米と味噌汁が入ったライスジャーが置かれている。 工事現場の作業員、といった風情のこの男の胸には「チーフ 東郷隆一郎」と書かれたネームプレートが下げられている。その役職名が、隆一郎と部屋のギャップをさらに激しいものにしていた。 「まあ、状況はわかったが。お前はこの原因を何だと考える?」 『端末が即座に孤立せずにここまで活性値が上がったということは、我々にも気づかせぬ方法でウィルスを送り込んだ誰かがいるということだ。そしてそれが出来るのは、CY-netの最深部について熟知している人間。この孤立モードを解除する方法は、最重要機密の一つだからな』 「確かに・・・そのコードを知ってる人間は初期開発者クラスの人間しかいないはずだな? それこそ神崎教授クラスの人間じゃないと・・・まさか!?」 『私もその可能性が最も高いと予想している・・・チーフ、時が来たのかもしれない。覚悟は決めておくべきだろう』 「・・・わかってる・・・10年前の再来だけは、絶対に避けなきゃならねえ・・・そのための俺たち、そしてお前なんだからな、サイファー」 通信を切ると、隆一郎は部屋を出て歩き出した。 悲劇を繰り返さぬ為の、そのための支度を整える為に。 しかし、ただ一つだけ気がかりな点があった。 (サイファーの封印を解く事・・・ってことは、あのボウヤを戦場に出す事になる・・・情けねえことだが・・・くそっ) 歯噛みしながら、彼は長い廊下を歩いていく。 2020年5月11日 14:00 県立国際情報高専 実習工場 「さて・・・頼んだよ、マジで・・・」 界人は握り締めたDVD-Rのケースが汗ばんでいる事に気づいた。 国際情報高専の実習工場は、先月の末に完成したばかりである。その気になれば工業用ロボットを生産できるほどの広大な敷地と能力を持つ。 その完成記念式典の一環として、生徒の手で実際に工場を稼動させてロボットを完成させるという 一大イベントが開催されることとなっており、界人はそのメンバーに選ばれていた。界人はこの日のために連日遅くまで学校にこもり、プログラムを組む作業を行っていた。 工場2階の渡り廊下には、教育関係者のみならず、日本の大手電機メーカーや工場関係者などが大勢詰め掛けていた。 (もしこのイベントで認められれば、俺は親父に大きく近づく事ができる) 「何ボーっとしてるんだよ。工場の設備の異常はなかったぜ?」 施設の点検に当たっていた晶が戻ってきて、界人に声をかける。 「あとはお前に任せたぜ? こいつはオレの夢でもあったんだ・・・こうして自分でデカい仕事ができるチャンスを与えてもらえるなんて思ってなかったから・・・」 「ああ・・・俺のほうこそ感謝してる。リハーサルじゃ、工場の動きは完璧だったからな。よくあのタイトなプログラムについて来られるようにしてくれたよ」 「オレの夢のためには、こんなもんじゃまだダメだと思ってるからな。だから、界人ももっと腕を上げてもらわなきゃ困るんだ。だからお前もこんなので満足すんなよ?」 「言ってくれるじゃん。ところで、お前の夢ってなんなのさ?」 「無事に終わったら話してやるよ。それじゃ、頼んだぜ!」 晶はこめかみをこするラフな敬礼。界人は親指を上げて応え、工場に入る。 『様子はどうだ?』 「今のところ何にも異常は無いようです、チーフ・・・ただ強いて言えば・・・」 『何だ!?』 「完成予定のロボットがちょっとゴツすぎるなァ」 『・・・報告は簡潔に、そして事実のみだと言ったろう、ヤン!』 「ったく、ノリ悪いですねぇ。朝っぱらからその調子でガチガチだから、リラックスしてもらおうと思ったんだけど」 渡り廊下の見学者の中に、辮髪にメガネ、スーツ姿の中国人がいた。胸には「福建汽車工業公司 楊 梁飛」のネームプレートがあるが、不自由なく日本語を操り、携帯電話で話している。その相手は東郷であった。 『む・・・だが、いつ何時コトが起きるかわからんのだぞ? ガチガチにならざるを得ないだろうに』 「そんなんじゃ、これから一生ガチガチ続きですよ? 指揮官ってのはもっと柔軟に構えてないと、部下にスムーズに指示ができませんよ」 『分かった・・・ところで、アレは持ってったんだろうな?』 「ええ。ただ、カッコがカッコなんで目立ちまくりですよ。ベースが20年前の名車ですから、自動車科の生徒が群がってきたりして」 『ふむ・・・あと、万が一の時のガードは頼むぞ。何としても彼をやらせるわけにはいかないからな』 「了解。それじゃ、また後で」 楊は携帯を切ると、再び工場のほうに目をやった。 (さて・・・今まで同様、無事に済むといいんだが) 「システム起動。CY-net起動確認。作業開始」 界人がディスクを端末に差し込んで指示をするだけで、工場全体が重々しい音と共に動き始める。 会話のみで条件どおりの作業をさせることができるのがサイネット端末の長所であるが、プログラミングの難度は数あるコンピュータ言語の中でもトップクラスに難しい。 特に擬似人格の形成は困難を極め、プログラムの他に慣熟シミュレートや対話を十分に重ねなければ、十分な働きをすることが難しくなる。 普及から10年は経つサイネットであるが、完璧に人間を模倣した擬似人格は未だ報告されていない。 ある程度会話による指示を与えると、工場の各セクションは資材の加工、部品製作を終え、いよいよロボットの各パーツの組み付け段階に入った。 渡り廊下の見学者からも感心する声が聞こえてくる。 (よし・・・ここまでは順調。あとは組みつけの指示を) 界人は各部品の精度チェックを命じ、続いて組み付けを行うよう指示を出した。 「精度チェック終了確認後、各セクションのパーツ組み付けを実行せよ」 <<拒否する>> (何だって? フリーズするわけでもなく、代替案の提案も無しで・・・!? こんな筈が・・・) 界人はもう一度同じ指示を与えた。 だが、界人の目の前に表示されたのは、 <<これより当ファクトリーは 命令権をprof.Murakumoに移行。独自判断による兵器製造に入る>> 次の瞬間。 工場のアームは神速とも言えるスピードで、既に出来上がっているロボットのパーツを加工しだし、加工装置は薬剤を容器に詰め、溶接装置は必要以上の材料を関節などに取り付け始め、1分もしないうちにロボットが完成してしまった。しかも、即席のドリルなどを装備し、より戦闘的にパワーアップされている。そして、ゆっくりと歩き始めた。 (何が起きた!? バグ・・・いや、そのときのためにフェイルセーフ機構は組み込んだ! だとしたら何が・・・まさか、外部からのハッキング!?) どよめく観衆の声を背にしながら、界人は素早くプログラムのエラーチェックを実行する。 やがて、入力した覚えのない文字列を発見した界人は、それを翻訳して端末のモニタに表示させる。すると、音声が再生された。 <<私のハッキングにより、この工場は兵器製造工場として使用させてもらうことにした。 これは貴様等に向けた宣戦布告と受け取ってもらう。 貴様等に災いあれ prof.Murakumo>> (やはりハッキング・・・! でもどうやってダイレクトに端末にハッキングを・・・畜生! とりあえず今やる事は・・・) 界人はエラー訂正をあきらめ、声を限りに叫ぶ。 「この工場はハッキングで乗っ取られた!! 早く逃げて!!」 2秒後に自らの危機を悟った見学者や生徒たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。 界人はそれを確認すると、手近にあった鉄パイプを手に、端末を殴りつける。 だが、ロボットは止まる様子が無い。 (くそ・・・どうする!?) 考えあぐねているその瞬間、2階から何やら液体がぶちまけられた。 「界人! 大丈夫か!?」 「晶!? 逃げてなかったのか! 早く逃げろ!!」 「馬鹿! 成り行きとはいえ、コイツはオレたちで作っちまった物だ! だったら最後まで責任持って相手しなくちゃならないだろ? 界人だってそう思うから残ったんだろ!!」 「ああ・・・そうだな。ところで今ぶちまけたのは・・・」 「ガソリンだ! 何とかして火ぃつけちまえ!!」 「わかった!!」 暴れるロボットからうまく逃げながら、界人は工場隣の自動車科の教室から、小型の2ストロークエンジンを持ち出す。 それを2回の渡り廊下まで持ち出し、ヒモを数度引っ張って始動させる。振動するエンジンを界人と晶は二人で持ち上げ、 「どりゃああああ!!」 頭部めがけて勢いよく投げつけ、素早く伏せる。 次の瞬間、凄まじい火柱が上がり、あたり一面は煙とガソリンのにおいで満たされた。 「やった・・・か?」 何とか自分の体が無事なのを確認する。しかし、 「晶・・・晶? おい!!」 晶は突っ伏したまま応えない。慌てて助け起こすと、頭から血を流している。 どうやらエンジンの破片か何かを頭に受けてしまったらしく、気を失っている。 「無茶したからな・・・待ってろ、今病院に・・・!?」 晶を背負って立ち上がった界人の目に映ったのは、 「・・・畜生・・・まだ動けるってのか!!」 頭部がわずかにひしゃげただけのロボットの姿だった。 同時刻 実習工場裏手 「チーフ・・・状況はもうわかってると思うけど、一応報告するよ」 来賓と共に避難したヤンは、乗って来たNSXの中で、「司令室」にいる隆一郎に携帯電話をかけていた。 『ああ、わかってるよヤン・・・県立高専の実習工場がハッキングされて、暴走ロボットを作り出したってんだろ? 10年前と似てるぜ、この状況は・・・』 「同じじゃない。今の我々には『彼』がいる。チーフ、今こそ封印を解く時だ」 『・・・ダメだ。ここは警察の到着を待って・・・』 「何故!? 今封印を解かなければ、『彼』は・・・」 『分かってる!! だがそれは、信一郎の遺志に反する・・・あのボウヤを戦いに巻き込むわけには・・・!』 <<チーフ、ヤン主任。手短に今の状況を説明する>> 「サイファー・・・お前、起きてたのか?」 <<今、界人は工場の中でロボットと戦っている。自分のためでなく、一人の友人を守る為に、だ>> 「・・・・・・」 <<私は界人を信じている。彼のこの「勇気」・・・大切なものを守り抜きたいと願う、何より大事な力を信じる。その想いが、私にも直接伝わってくる。彼ならこれからの戦いにもきっと耐え抜いていける・・・しかし、今の私では何もしてやることが出来ない>> 「でも・・・封印を解いたら、お前は同じロボットと戦いあう羽目になるんだぞ!? それでいいのか、サイファー!?」 <<覚悟はある・・・私は信一郎教授から、ロボットと人間の未来を頼むと命を受けた。そのための戦いなら、私は進んで身を投じたい・・・チーフ! 私に力を!!>> 「・・・全く、お前に説教されるたぁ、俺もまだまだ甘ちゃんだってことだな。わかった・・・エイミ! データ転送準備!!」 「ハイ!!」 東郷の命を受け、オペレータの雨村エイミが司令室のセンターコンソールにパスコードを打ち込む。 「いつでもどうぞ、チーフ!」 隆一郎はすっくと立ち上がり、高らかに宣言する。 「A-C-E-S本部長、東郷隆一郎の名において、ここにプログラム『Cipher』全機能制限を解除する! 人の願いと未来を繋ぐ為、封印から目覚めよ!!」 界人は見た。 自分のいる渡り廊下が、ロボットの巨大なアームによってガッシリとつかまれる様を。 そして、そこにひびが入っていく様を、スローモーションのような感覚で眺めていた。 (落ちる・・・? いや・・・まだ何かやれることがあるはずだ・・・!) <<そうだ。まだ君の心はあきらめていない。その心ある限り、私は君の剣となり、盾となる>> (だ、誰だ!?) <<私の名はサイファー。君の半身だ・・・!>> その声を聞いた瞬間、界人は自分の意識が体から弾き出されるのを明確に感じた。 それはひどく奇妙な感覚だったが、なぜか当然のことのように受け止める事が出来た。 |